PR

病気のこと。

雑記
この記事は約3分で読めます。

今から3年ほど前のこと。

万年的に人員不足である介護福祉業界。その中でも、放課後等デイサービスという、

障害のある子どもが通うデイサービスの児童指導員として働いていました。

自閉症であったり、発達障害であったり、様々な特性のある子どもたちとの毎日は、

それはもう、台風のような日々で。

他害のある子には引っかかれたり、噛みつかれたり、

多動の子が危険なことをするのを止めるために追いかけたり、

それはもう、生傷も絶えないし、体力勝負な毎日でした。

それでも、子どもたちの成長していく姿を見ていると、とても充実していたし、

子どもたちと過ごす日々は、私にとって、かけがえのないものでした。

そんなある日、いつものように、子どもたちを送迎していると、

体中がだるくなり、寒気がしてきました。

何とか送迎を終え、事務所で熱を測ると、38.5度もあるじゃないですか。

おりしも、人員不足で、翌日の人員もぎりぎりというなか、

管理者がパートのAさんに、翌日の出勤をお願いしているところでした。

「あの……熱が……」

その時点で私の意識はもうろうとし始め、高熱と体中の痛みで立っているのもやっとでした。

「うららさんも、明日は頼むね!」

人の話を聴いてますか?

「いや、ムリかもしれないです……」

「だいじょーぶ!だいじょーぶ!無理でも出勤してね!」

とにかく家に帰らなければ。

早く帰って、早く寝よう。

必死に、帰宅しようとバスに乗りましたが、もはや座っていることもやっと。

やっとの思いで家に帰りつき、最後の力を振り絞って娘にライン。

『高熱で動けない』

娘は急いで帰宅をしてくれ、救急車を呼んでくれました。

夜間救急で搬送された先で、色々検査をするものの、

「熱があるだけで、インフルエンザでもないし、できることはないから今日は帰宅してください」

と言われ、こんな高熱(40度を超えていたようです)で家に帰されても困る、

と娘が言い張って、無理やり入院させてもらったのですが、

そのあと、容態が急変して、ICUに入る騒ぎになりました。(帰らなくてよかった)

結局、そのあと2週間入院することになるのですが、

様々な検査をするも、結局原因不明のまま、微熱が続いて、

「これ以上、治療はできないので」

と退院することになりました。

退院してからも、微熱は下がらず、結局2ヶ月間、寝たり起きたりの生活をすることになりました。

その間も、大学病院でさまざまな検査をして調べてもらったのですが、

これといった診断を受けることもなく……。

ようやく微熱も下がり、そろそろ社会復帰しようとしていた矢先に、

今度は全身の激しい痛みに見舞われ、リウマチかも?と検査を受けると、

線維筋痛症という診断を受けました。

けっきょく、あの高熱の原因はわからないままではあるのですが、

ICUで死にかけてから、一気に体が老化してしまったようで、そのままの流れで、

放課後等デイサービスは辞めることになりました。

いまだに、管理者からはヘルプの電話がかかってきたりします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました